昭和44年12月28日 夜の御理解



 今日は、竹葉会でございましたが、途中から入らしてもらって、いろいろ話を聞かせてもらいましたが、竹葉会ほど、たった月に一回ですけれども、会合をして、信心の共励をして、その成果を上げておる会はなかろうと思われるくらいですね。もう言うなら、めきめき肘を出してという感じです。
 その中にその、いつの場合にも何人かがその、生き生きした体験を持っているですね。ですからその、それにですね、皆がその、いわゆる目を輝かせてですね、「そういう信心が素晴らしい」と、「自分たちもそういう信心にならにゃならん」といったような雰囲気がいっぱいあるんですね。
 今日もそれを私、ほんとに、こう直に感じさして頂いたんですけれども。ほんとに若い嫁さんたちが、言わば(こうしの?)、子供、ついつ、小さい子供を見ながら、そして、または、言うなら、( ? )と中心になって、それでいてまた、姑、または、姑親といったような人達の中にあって、もう一番信心の稽古をさして頂くのに、一番(都合のいい?)時だっていうわけなんですよ。ね。
 とてもあの、ほんとにそういう中だから、ほんとうの信心の稽古ができるんだ、といったような、まあ結論でしたね、最後が。それで、とにかく例えばどういう失敗でも、あの、「失敗したおかげで、こういうことが分からして頂きました」お礼が言えれるちゅう。最後はそれでした。ほんとに素晴らしいことだと。
 確かにそうですね、特にまた、その若い人達ですから失敗もありますけれども、その失敗したおかげで、このことが分からして頂いたということがですね、あの、はっきり神様は体験の上に現われて下さることですね。良いこと悪いことにつけて、良いこと、そのおかげを頂くこと、受ける、落とすことについてですね、はっきり神様がしてござること。
 ですからあの、「このことでおかげを落としました。けれども、このことが分からして頂いた。もう二度とこの失敗は繰り返しません」といったようなものがあるとです、なるほど、こういう生き生きしたものだから、信心が進むはずだなぁと思ったんですけどね。
 まあ、ほんとに始めの間、竹葉会は、ただ若い嫁さん達がああして、子供連れで、まあ一息入れにくる、といったような感じの会が、もう本、いわゆる本格的な信心の稽古に、こう取り組んでですね、それをその成果を皆さんが発表。しかも、一人一人発表するですね、もう子供も生き生き、あの、素晴らしいとこう思いましたですね。
 ほんとに、確かに、もう竹葉会の言わば結論としてです、どういうようなことの場合であっても、「このことのおかげでこういうおかげが、こういうことが分かった」と、お礼を申し上げさして頂けておるということ。まあ、これは私どもも、もう確かにそうですけれども、皆、こういう信心が有り難い、ということをですね、今日はその、感じ、入らして頂いて話を聞いたりさして頂いたりしてから、有り難い。このままこの調子で育てば、というような気がいたしましたね。どうぞ。


明渡 孝